自分の字と几帳面さについて

私は手帳を持ちません。

自分の字がどうしようもなく嫌いだからです。

文章を書くのもそんなにうまい方ではないので、自分の書いた文章を読むのは、はずかしくてなかなかしません。

だから、ノートでメモをとったとしても見ないのですね。

仕事だと、メモをとってないと「聞く気がない」と思われるので、メモとったりはしますが、やっぱりあとでみることはないです。

 

Evernote

手帳に手書きで書くのはそんな理由があるもんで、諦めていて、最近はもっぱらEvernoteにメモを残すようにしています。

今日Evernoteの整理をしていたんですけど、2011年とかのメモが出てきて、読んでみると意外といいこと書いてあったりして、「昔の自分やるじゃん」なんて思ったりしていました。

 

しかし、なんといっても、字が汚すぎて読めないということがないのが良いです。

 

部屋の掃除をしていると高校のときに使っていたノートが出てきたりしたんですが、読んでいると字が汚くて読めたもんじゃないんです。

昔の自分もっときれいに書けよという話なんですけど、たぶんめんどくさかったんでしょうね、綺麗な字で書くのが。

 

几帳面さ

私は基本的にめんどくさがりで、几帳面という言葉とは真逆の性格をしています。

なので、毎日コツコツ何かをするとか、決められた通りになにかをやるというのは、本当につらいんです。毎日1ページノートを書く人とかいますけど、尊敬しますし、あこがれてしまいます。よくそんなに書くことがあるなぁとか思いますし、たぶんそういう人は人生充実してるんだろうなぁとか、勝手に妄想してます。

 

Twitterはなぜか別

そんな私ですが、なぜかTwitterだけは毎日飽きもせず見たり書いたりしています。自分のツイートを読み返すこともします。こんなに飽きっぽくて、几帳面でもない私が、唯一といっても過言ではなく、毎日やってるっていうのは、我ながら謎です。

習慣になっているからでしょうか。

あるいは、誰かからの命令で書いたことが無いからでしょうか。

 

人から命令されること

ちょっと話は変わりますが、私は誰かから命令されるのが嫌いです。

好きな本についてブログに記事を書くのはいそいそと書きますが、学校の宿題で2000字以内の読書感想文を書けと言われたら嫌になるのと似たようなものです。

自分が好きなものでも、人から命令されて、しなければならなくなる状況がとても嫌いで、たぶん命令された瞬間からそれは好きじゃないものに変わってしまう気がします。

 

このブログも誰から命令されたわけでもないし、好きで始めたことなので、好きに続けていければと思います。