GR DEGITAL Ⅲというカメラを買いました
これを買いました。
RICOH デジタルカメラ GR DIGITAL III GRDIGITAL3
- 出版社/メーカー: リコー
- 発売日: 2009/08/05
- メディア: Camera
- 購入: 2人 クリック: 598回
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GRシリーズの最新より一世代前のものになります。
なぜGRⅢなのか
そもそもなんでGRⅢなのかという話ですが、
まずひとつは知り合いに勧められたから。
もうひとつは一世代前ということで値段が安くなっていたこと。
うろ覚えですが、私がほしいなぁと思って見ていた5年前は5万円くらいしていて、当時はまだ学生でしたから買うのを諦めていました。
あとはやっぱり前から欲しかったからですかね。。。
昔話
2008年ごろの話になりますけど、そのころは私は「ほぼ日」の読者で、「ただいま製作中」をちょいちょいみていました。
そんななかでこんな写真を見て、「かっこいいなぁ〜」なんて思っていました。
http://www.1101.com/pl/seisakuchu2007/statuses/20198
それで「GR DEGITALⅢ」で検索してこだわりのある製品というのを知りました。
だいたい私ってこういう「製作者のこだわり」っていうやつに弱くて、「なんだかよくわからないけどすごい!!!」なんて考えてしまいます。(自分が使いこなせるかどうかは横においておいて)
話はちょっとそれますが、私は今この記事をMacBookAir2012年のモデルを使って書いています。
その前は白いMacBookを使っていましたが、私がMacを使いはじめたのも「ほぼ日」の影響です。
「ほぼ日」の中の「ただいま製作中」では、「ほぼ日」の記事の制作風景が写真とともに語られます。その中でMacが頻繁に登場するので、ここでも単純に「かっこいいなぁ〜」なんて思ってしまって、あとはGR DEGITALの流れと同じですね。
「MacBook」と検索して、Appleのサイトを読んで、その中で語られる「いかにMacがこだわって作られているか」っていうのにうっかりときめいてしまったんですね。
それで、しばらくしてPCを買うタイミングでMacBookを使い始めたわけです。
写真
買ってからまだ数日だからかもしれませんが、やたら写真を撮るようになりました。
これはお昼に食べたチャーハンです。
買った当日なんか、意味もなく「ただ写真を撮りたいから」という理由で近くを散歩して、これまた意味もなく交差点を撮影したりとかしてました。
あと買ってから気づいたんですが、これ「SDHC」という規格のSDカードしかダメみたいで、「SDXC」のSDカードをさして、「なかなか認識しないなぁ」とか思ったりしてました。
それではまた〜
ノートにメモすることでちょっと楽になった
この記事では、この前ブログ記事にした内容と矛盾するようなこと言います。
最近ノートにメモをすることが増えました。
この記事ではノートは基本使わないと言ってたのですけど、考えを改めたわけです。
- 作者: 岡田斗司夫
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/02/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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最近になってこの本を読んで考えが変わりました。
この本の中で著者は「毎日2ページノートに書こう。はじめは5行だけでもいいから毎日書いてみよう」というようなことを言っています。
私はやっぱり毎日続けるのが苦手なので、実践できてはいないのですけど、「なるほどなぁ」と思った部分があるので、紹介したいと思います。
頭の中でジャグリングしてる状態
私がこの本の中で一番共感した部分が下記の部分
そうか、悩みの本質、苦しさの本質というのは、「複数の問題を頭の中でグルグルと回している状態」から生まれるのだと気付きました。
これを私は「頭の中でジャグリングしてる」と呼んでいます。
ノートを取らずに悩むことは、悩みをジャグリングのように空中で回しているのと同じことです。
本来、悩みの解決に使うべき脳の容量をジャグリングに使っている。だからあんなに悩むのは疲れるんです。だから、悩んでも答えが出ないんです。
あなたを天才にするスマートノート 「【コラム】悩みの"ジャグリング"をやめる」より抜粋
私は結構悩むことが多いですが、だいたいこの「頭の中でジャグリングしてる」状態です。「たしかに」なんて思いながら読んでました。
書いたあとは忘れる
この本の中で「書いたあとは忘れる」というのがあります。
これはスマートノートだからというわけでもないですが、たしかにやってみたら便利でした。
私はすごく忘れっぽいです。
どれだけ「忘れないでおこう」と思ったことでも、結局毎日思い返さないと忘れないっていうことはできないんです。
それで、以前までは頭の中で探して探して、思い出していたんですけど、頭の中から思い出すってとても煩わしいんです。
「書いたあとは忘れる」を実行してみたら、思いの外うまくいきました。
「忘れないでおこう」と思ったことがあったら、ノートにそのことを書いて「忘れないこと!」とか付け足して、あとはノートを読み返すだけでいいんですから。
おわりに
以上が、私がこの本を読んでとりあえず実践してみて、ちょっと楽になったところです。
なにか役に立てれば幸いです。
嫌われたくないけど、気を使うのは面倒くさい
私は、気を使うということが昔からどうにも苦手です。
だから、細かいところまで気をつかっている人は単純にすごいなぁと関心してしまいます。
とはいえ、私もTwitterでは「◯◯さんと◯◯さんが見てるかもしれないから、ツイートしないでおこう」とかやるときもあるので、気を使う気持ちが無いわけではないと思います。
ただ、わたしの場合、途中から気を使うのが面倒くさくなったり開き直ったりして、結局気を使うのをやめてしまうことが多いです。
そういうときの私はたぶん傍若無人になっているんでしょうね。。。
他人からどう思われたいという気持ちがない
気を使うときのこころの状態っていうのは、「こう思われたい」という気持ちがあると思うんです。
「親切な人だと思われたい」からお年寄りに席を譲ったり、
「かわいいと思われたい」からお化粧やファッションに気を使うと思うんです。
私の場合は、「社会のマナーだと思うからやる」とか「みんなやってるからとりあえずやる」といった感じで、特別「こう思われたい」という気持ちがあってやっていないわけです。
結局のところ、「どう思われても良いや」ということなんですね。
実際どう思われているのかには興味がある
さっき「どう思われても良いや」と言いましたけど、実際にどう思われているのかにはすごく興味があります。「嫌われてないかな」とか不安になることとかしょっちゅうです。
人の心がのぞけるならのぞきたいですね。今どう思われてるんだろうって。
みなさんそんなことないですか?
「嫌われていないか不安になる気持ち」を打ち消すもの
たぶん気を使う人だったら、嫌われないために対策をすると思うんです。
嫌われないために、お化粧がんばったり、服装をきれいにしたり。
そういう対策をして、「嫌われていないか不安になる気持ち」を打ち消しているんじゃないかと思っています。
逆に、私みたいなのはそんな対策もせず、面倒くさいから努力を放棄してしまいました。
だから「嫌われていないか不安になる気持ち」を打ち消すものはなにもないんです。
その気持ちをかかえて、あるいは見ないふりをして生きています。
あー、つらいつらい。
面倒くさいものは面倒くさい
面倒くさいものは面倒くさいんです。はい。
でも面倒くさくてもやることってありますよね。
シャワーするとか、洗濯するとか。
なので「他人にどう思われたいのか」の優先順位が低いんです。
面倒くさくてもやらないといけないほどではない。
私の中ではそんな感じなんです。
自分の字と几帳面さについて
私は手帳を持ちません。
自分の字がどうしようもなく嫌いだからです。
文章を書くのもそんなにうまい方ではないので、自分の書いた文章を読むのは、はずかしくてなかなかしません。
だから、ノートでメモをとったとしても見ないのですね。
仕事だと、メモをとってないと「聞く気がない」と思われるので、メモとったりはしますが、やっぱりあとでみることはないです。
Evernote
手帳に手書きで書くのはそんな理由があるもんで、諦めていて、最近はもっぱらEvernoteにメモを残すようにしています。
今日Evernoteの整理をしていたんですけど、2011年とかのメモが出てきて、読んでみると意外といいこと書いてあったりして、「昔の自分やるじゃん」なんて思ったりしていました。
しかし、なんといっても、字が汚すぎて読めないということがないのが良いです。
部屋の掃除をしていると高校のときに使っていたノートが出てきたりしたんですが、読んでいると字が汚くて読めたもんじゃないんです。
昔の自分もっときれいに書けよという話なんですけど、たぶんめんどくさかったんでしょうね、綺麗な字で書くのが。
几帳面さ
私は基本的にめんどくさがりで、几帳面という言葉とは真逆の性格をしています。
なので、毎日コツコツ何かをするとか、決められた通りになにかをやるというのは、本当につらいんです。毎日1ページノートを書く人とかいますけど、尊敬しますし、あこがれてしまいます。よくそんなに書くことがあるなぁとか思いますし、たぶんそういう人は人生充実してるんだろうなぁとか、勝手に妄想してます。
Twitterはなぜか別
そんな私ですが、なぜかTwitterだけは毎日飽きもせず見たり書いたりしています。自分のツイートを読み返すこともします。こんなに飽きっぽくて、几帳面でもない私が、唯一といっても過言ではなく、毎日やってるっていうのは、我ながら謎です。
習慣になっているからでしょうか。
あるいは、誰かからの命令で書いたことが無いからでしょうか。
人から命令されること
ちょっと話は変わりますが、私は誰かから命令されるのが嫌いです。
好きな本についてブログに記事を書くのはいそいそと書きますが、学校の宿題で2000字以内の読書感想文を書けと言われたら嫌になるのと似たようなものです。
自分が好きなものでも、人から命令されて、しなければならなくなる状況がとても嫌いで、たぶん命令された瞬間からそれは好きじゃないものに変わってしまう気がします。
このブログも誰から命令されたわけでもないし、好きで始めたことなので、好きに続けていければと思います。
日曜ブロガー
この記事で3記事目ですが、更新するタイミングがきまって週末になっています。
べつに意図して週末にしか記事を書いていないというわけではないんですが、なぜかブログを書こうと思うタイミングが週末なのです。これは、自分でも理由がわかっていない未知の現象なのです。(前記事で週1ペースと言っておいてアレですが・・・)
日曜大工をする人
よく「日曜大工」とか、あるいは「日曜プログラマー」とかいう単語を聞きます。
仕事をしている傍ら、週末になると趣味でものづくりをしてしまうアレのことです。
実は、私の父も日曜大工をしている人でした。
日曜大工をしている様子を思い出すと、たしか木材やらニスやら釘やらを買ってきて設計して机と椅子を作っていたと思います。座って壊れるという経験はしなかったし、たぶんうまいことつくれていたのでしょう。ただ、私にとってはニスの匂いがどうにも臭くてあまり座りたいという気持ちにはなれなかった記憶があります。まあでも作った本人(父)は満足そうにしてました。
なぜ日曜大工をするのか?
おそらく日曜大工する理由は2つあると思います。
1つは「必要だから」です。
自分の思ったようなものがなかったから作るということですね。
もう1つは「自己満足」だと思います。
単純にものを作るのが趣味という人はここに含まれるんじゃないでしょうか?
なぜ「日曜」なのか
さて、じゃあなぜ日曜大工は「日曜」なのでしょうか?
それは仕事じゃないからだと思います。
あるいは、個人的な趣味だからと言い換えてもいいと思います。
仕事が終わってからの時間、余暇の時間を使うわけです。誰から頼まれたわけでもなく、ただ自分が作りたいから作るんです。
ちなみに、私は最近哲学の本を読むのが趣味です。
例えば最近読んだ本で言うとちくま新書の「ニーチェ入門」です。
ニーチェむずかしいということはかねがね言われていますから、まず入門からと思ったわけですが、この「ニーチェ入門」という本はわかりやすく書かれていて、わりとサラッと読めました。途中の「力への意志」とか「永劫回帰」っていう概念がいまいちわからなかったりしますけど、「たしかにこういうことあるわ〜」なんて言いながら読めるところが多く、おもしろかったです。この本の紹介についてはまた別の記事でしようと思います。
私は別に哲学を大学で勉強したわけでもないのですけど、「なんでこんなむずかしそうな本を読もうと思ったの?」と聞かれれば、「興味がでてきて、おもしろそうだったから」だとか、「趣味だから」という答えになってしまいます。
承認欲求を満たすための装置
まあそれはさておき、日曜大工をなんでやろうと思うかっていう話でいうと、多かれ少なかれ「承認欲求」があるんじゃないかと思うんです。
それは、作ってる最中に何を考えているかって言うと、
「すごい」って言ってほしい!
「すごい」って言われたい!
そんなことを考えながら作ってるんじゃないかと思うんです。
じゃないとモチベーション続きませんしね。
ブログもそういう面があると思います。
私のブログは、こんな拙いブログですが、それでも書いている途中には
「おもしろい」って言ってほしい。
「おもしろい」って思ってほしい。
なんて思いながら、せこせこキーボードを走らせてるわけですから。
そんなわけで、私は「日曜ブロガー」です。
よろしくお願いします。
継続してなにかをやるの苦手・・・
私は継続して何かをすることが苦手です。
どうしたら継続して何かを続けることができるんでしょうか?
継続して何かをできないというのは、たぶん私がめんどくさがりだからです。
じゃあなんでめんどくさいのか。そのへんを中心に話を始めていこうと思います。
「めんどくさい」の心理状態
まずめんどくさいとはどういうことか
それはやりたくないけど、やらざるを得ないという状況の時に起こる心の葛藤だと思います。
例えば学生時代、夏休みの宿題ってめんどくさかったですよね。
そんなときの心理状態って
「宿題なんてやらずにゲームしていたい。→けど、宿題しないと親に怒られたり、先生に怒られたりするからやらざるを得ない。→でもやりたくない。→(以下ループ)」
だと思います。
このループから抜け出すには宿題を終わらせるのがいちばん手っ取り早いわけですけど、なにせ「やりたくない」わけですから、宿題を終わらせるためには、そういう自分の中にある「やりたくない」という気持ちを押し殺して取り組まないといけないのです。
継続することの難しさ
たとえば、私の場合で言うと毎日ブログを更新するという目標を立てていた時期がありました。けど3日くらいで断念してしまいました。
そのときはなぜ断念してしまったのかというと、単純にネタが尽きてしまった、なくなってしまったからです。
1日目、2日目は書くネタがあったのでそれを書きました。しかし3日目はどうにもネタが出てきませんでした。その3日目の心理状態ですが、「毎日ブログ更新するという目標を立ててしまったから書かないと。でもネタがない。(以下ループ)」というものでした。
まさしくめんどくさいことに対する心理状態だったわけです。
そうして記事を書くということが「めんどくさいこと」に変換されて、ブログを毎日更新するという目標はあきらめてしまいました。
この例でいうと、原因は「ネタがなくなった」ことをトリガーにして、記事を書くことが「めんどくさいこと」に変換されてしまったということなのですが、継続することの難しさはそれが防ぎようがないということだと思います。
コストを下げるということ
じゃあどうすればよかったんだろうかと考えることがあるんですが、一つは記事を書くことのコストを圧倒的に下げるということをすればよかったのかなと思いました。
毎日ブログに書くようなネタが降ってくるような、おもしろい人生は送ってないですし、そんな人この世の中になかなかいないんじゃないでしょうか。
だったらしょーもなくても、手抜きでもなんでもいいから、とりあえず書くということをすればよかったんじゃないだろうか。「今日もいい1日だった」とか「上司マジクソ」とかでもいいから続けるという目標を守っていたらもうちょっとは続いていたんじゃないかと、今になって思います。
今後の目標
1週間に1回くらいのペースで更新していけたらいいなぁ・・・
はてなブログスタート
はてなブログを作ったらいい言葉が書いてあった。(以下引用)
はてなブログへようこそ!
日々の生活、喜びと悲しみ、特別な出会い、ちょっとした考えや思いつきをブログに書き残してください。しばらく続けて読み返したときに、また新しい発見があります。
さあ、最初の記事を書いてみましょう。
「なるほどなぁ」と思うと同時に、これがやりたかったんだなと思った。
日々の生活、喜びと悲しみ、特別な出会い、ちょっとした考えや思いつきを記事にして読み返してみたいって思った。
このブログはどんなブログにしたいっていうのはまだ無いです。テーマなんて決めてないし、私が普段感じたことを日記のように書いていこうとおもって始めました。
もともと私はしゃべるのが苦手で、文章を書くのも苦手で、文章にタイトルをつけるのも苦手です。テーマにそって文章を書くのも苦手ですし、書いている途中でいろいろ思いついたりする事柄を書こうか書くまいか考えるのがとてもつらい時があります。
そういうわけで、私はテーマを決めて文章を書くのがとても下手くそなので、テーマを決めていません。ただ、たぶん書いていくうちに自然と私の興味関心がある話題の記事になっていくと思います。なので、そのときにテーマを決めようと思います。
たぶん文章が下手くそだったり、読みづらかったり、理解できない部分があるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。